空き家だらけだ

空き家のオーディション 一見

「空き家だらけだ。」私が空き家を上演作品に変容させたいと言うと、こういう風によく言われます。空き家は日本全体に広がっている「問題」なので、私が受ける反応は必ず私の目の前にいる人の経験や考えを含み込んでいます。「空き家」という言葉は家族が囲炉裏の周りに集まって食べている過去のロマンティックな光景を思い浮かばせます。しかし、同時に一人暮らしのお婆さんがピンクのタイル張りのお風呂場でプラスチックの手すりをつかんでいる姿も思い起こさせます。土塀や太い丸太の梁は環境に配慮したコーヒーを啜っている都会人で混み合っているおしゃれなカフェを思い浮かばせる一方で、危なっかしく滑り落ちそうになっている屋根瓦や駐車場にした方がお金になる地所に目をつける人もあります。このような見方のどれにも真実があるので、そのため私のプロジェクトのための家を選ぶ第一歩は安いものを見つければ良いというだけの簡単なものではありません。何よりこれらの家が私の中にまた私の周囲の人たちに呼び起こす反応を見て理解することです。

この家は、昔の銀山のあった町、世界遺産になっている町、にあります。私の住んでいるところから車で約一時間です。家賃は約4万円で、1876年に建てられました。建てられた時からあまり変わっていないと思いますが、台所と風呂場とトイレは最近な物です。この町はよくテレビで放送されます。注意深く丁寧に修復され保存されている日本の田舎の懐かしいイメージ、その中でこどもたちが成長できる場所として、牧歌的なイメージを映しています。最近まで表面を覆っていたコンクリートは取り除かれ、近代生活に必要なエアコンと自動販売機もカモフラージュして置かれています。歩行者に優しい本通りにはおしゃれな店やカフェが立ち並び、新しい保育園図書館もあります。


私のプロジェクトのことを聞いた後で、アメリカにいる友達が、日本の山の中の小さな町にある自分の家族の家のことを話してくれました。そこは私の家から40分のところです。彼女は少女の頃、太平洋戦争中にそこに住んでいた時の懐かしい思い出を持っています。彼女の物語には本当に心惹かれます。いつかその話を私にさせてほしいと思っています。この家は今は空っぽですが、私はここが不思議な、面白いことのあった避難場所で、いろいろなお客さんが来たこと、山水が竹の樋を通って裏庭の大きな甕に集められていたことなどを彼女の目を通して見ることができます。現在の家族は計算して見て、修繕する価値がないと思っています。売れるものは骨董屋に売って、多数の人たちと同じく、そこに誰もすみたくないと思っている不動産をどうしたら良いのかと思案しています。


私のプロジェクトのためにどうして私の家を使わないのかと聞く人たちがいます。私もそうするのが、はっきりした論理的な、経済的な選択だということに賛成します。通う時間はゼロですし、そもそもその家の中にある物に感じる懸念が私のプロジェクトのきっかけでした。過去五年間、アンディと私は祖父母の絵のカタログ作りをしてきました、展覧会のカタログと照合し、整理しながら。枠に張ってないキャンバスやスケッチブック、また公共や個人所有の作品は含まないで1000点以上あります。演劇というのは大概争いについてですが、確かに家と私とは戦っているように感じられることがよくあります。私はいづれ祖父の西洋スタイルの油絵の中で、また芸術家としてアメリカから日本にやってきた私の旅が、東と西とをどのようにつないでいるのかを検証したいと思っています。ですが、今この問題に立ち向かうと、私の一憶ハウスのプロジェクトを呑み込んでしまう心配があります。別の家が私の家の代理にしたら、私がもう一つの問題に取り掛かる前に私が私自身の立場をもっと軽い気持ちで見て、私に何かはっきりしたものを与えてくれるかもしれません。


私がプロジェクトの説明をする時,もう一つよく受ける反応は「プロジェクトはあそこでやった方がいい」。あそこはここよりいい名前の町です。ところが友達の有紀さんは初めから「ここでプロジェクトをするべきです」と言っている唯一の人です。「ここ」は派手じゃないけれど、赤瓦の家々のたつ、感じの良い海辺の村です。我々の家から約20分で、私とアンディが時々手伝いをする葡萄園からはもっと近いです。有紀さん夫妻は空き家バンクを通して彼らの家を見つけました。それから隣の家も買ってシェアハウスと英語の学習センターにしています。私たちは一緒に村の一方の端から他の端へ歩いて色々な空き家を見たり、自分の空き家を改造したりしている人に会ったりしました。私が一番気に入った家は1910年に建てられ、売値は250万円です。台所とお風呂は現代風になっていますが、エアコンがないし、公共下水に接続されていません。私はこの話を進めたいと思って4月に書類を渡しましたが、日本の官僚主義のため行き詰まり状態になりました。そして、空き家を買ったり改修したりするための隠れた費用のことが私に分かりはじめてきました。所有者は追加費用なしで、農地と山林とため池も加えたいと言っています。日本の田舎では不動産を所有することは資産になるというより責任の方が重いのだということの絶好の実例です。


空想は広げすぎないようにして、心配はしずめるようにして、決定の道を絞っていけば家を見つける工程はまっすぐだと思っていましたが、結局まっすぐではありませんでした。このリストに含まれてもいなっかったものも入れて考え直しています、正しい決定も間違った決定もないのだからと自分に言い聞かせながら。もしかしたら、これから数週間アメリカに帰ることは良いことかもしれません。まずボストン、それからニューヨーク。見方を変えてみるのは有益かもしれません。結局、私がどんな場所を見つけるにしても私の一憶ハウスのプロジェクトはうまく行くと知っています。空き家だらけだ。