段階一は家探し
適当な一憶ハウスを探す
私の作品は大体いつも何かの中間にいると言う感じについてだから、皆さんがここで、日本とアメリカの間、日本語と英語と視覚的言語との間、この「一憶ハウス」のプロジェクトの初めと終わりとの間で、私に会って下さるのがとても嬉しいです。
約五年前、私にとって大切な家はどれも嘆き悲しんでいたんです。私の育った家、母の育った家、父の育った家、全部で大事な人を亡くした。その上、アンディーと一緒に十年間アメリカのサウス・カロライナで住んでいた家から島根県の母の育った家に引っ越しして来た。この四軒には深い思いを持っていたが、同時にそこにある物と記憶に圧倒されたんです。私の考えを解きほぐして、責任の道筋をつけて航行するために、書き始めた、この四軒は、時間と空間では離れているけれども、記憶で繋がっている数千の部屋や物からなる生き物一頭とイメージして見た。
2020年5月、ニュー・ヨークの上演のために生き物とネモサインと言う世話係の対話を書いて、動画を撮影した。コロナ感染爆発に初演を無期限に中止されて、でも心密かに胸を撫で下ろしていた。劇化の手続きを始めて、素材を試して見た:まず段ボール箱、石州和紙、ファウンドオブジェ、それからプラスチックに変えた、それは県立大学のリサイクル箱をかき分けて見つけた。アトリエに集まっている素材はゴミ処理場の感じになっていたし、私の記録した対話には満足出来なかった。いつかの点でこのプロジェクトからしばらく手を離せる事に感謝した、少なくとも目の前から。
数ヶ月後、田舎を車で通っている時、アンディーに「お金と自由は無制限だったら、どんなアートを作りたい?」と聞かれた。田舎で無数に散らばっている空き家の一軒を通り過ぎるところだった。空き家を生材料に使ってインターアクティブの彫刻を作ったらどうだろうと始めて想像した。普通の上演を普通の劇場に入れるのではなく、空き家は上演の主役その物だったら面白いのではないか。そう言うわけで、私はこの地点に立っている。家をオーディション中です。
石見地方の空き家バンクから目を離さないようにしている。日本とアメリカにいる家族と友達にも聞いている。その中には自分たちで救出できない家を救出する気になっている人がいるので喜んで、恐らく眉を開いている人も多いようだ。私の日本語はまだ初歩的だけど、この工程が十分ではない知識を私に使わせている。色々知らなかった事に気つかされながら、母が出てしまった所、私が住もうと選んだ所の歴史をもっと詳しく調べるのは楽しくて面白い。これを書くのを母が手伝ってくれている。色々の点から私は運がいい感じがする。一番大事なことはアーティストとして日本の田舎で暮らす実験を続けられること。うまく行けば、数ヶ月後、家を決めて、また情報を送ります。