一憶ハウス
「一憶ハウス」とは?
「一憶ハウス」は浜田市を拠点とするシアター・アーティスト、マエダ・キミの上演作品。既存の劇場を使用せず、石見地方の空き家を上演作品の舞台及び主役に変容させるプロジェクト。観客は家の中を歩き回りながら、部屋全体に使われている自然の素材、ファウンドオブジェ、照明、動画像、及び音などのインストレーションをインターアクティブに経験することが出来る。さらに影絵芝居やオブジェクトシアターも見る事が出来る。
家を歩き回って、観客は記憶の重荷とめぐみの話を経験します。「一憶ハウス」は石見地方の人たちの伝承とそこに住んでいたマエダの家族の歴史とマエダのアメリカに住んでいる家族の歴史を織り交ぜて、何を守って行くのか、何を捨ててしまうのかを決めると言うおよそ不可能なジレンマを探索します。こうした個人的な話は、過疎化と田舎を見捨てて行くと言うもっと大きな世界的な傾向を調べるレンズの役割をしてくれます。
劇場ではなくて、家とその敷地を扱うことによって、老いて、変化して、おそらく崩壊してしまうような空間を作りたい。上演が終わった後で、世界中から芸術家を招いて、数週間か数か月、浜田の生活を経験してもらって、この家の中で自分の作品を作ってもらいたいというようなことも考えている。この作品の進展と据付には完成までに二年間掛かると考えている。それから一年間ぐらいは定期的に上演をするつもりです。仕事の最新情報を聞きたい方は、マエダのメールのニュ~スレターに申し込んでください。
どうして「一憶ハウス」は島根県?
2017年に日米友好基金から日米芸術家交換プログラムのフェローシップをもらって、マエダは浜田市に行く事が出来ました。芸術家の山﨑修二の孫で、子供の頃浜田市をなん度も訪れました。フェローシップのおかげでまた浜田に帰ると言う素晴らしい機会を得て、祖父母が生活していた家に住んで、柿田面工房と桑の木園の職人から面や舞衣裳や石州和紙の作り方を習いました。2018年にマエダと夫のスミス・アンディーは浜田市に引っ越しを決めました。それ以来、マエダは祖父の浜田市のアトリエでアートを作っています。この地方の美しさを楽しむ喜びを深める一方で、高齢化と過疎化の問題を見て、暮らす事になったこの地域の話を広く共有してもらえるような作品に発展させると同時に、日本中からまた世界から彼女の作品を体験して興味を持っていただける方々を呼び寄せたいと望みました。
どうして「一憶ハウス」と呼ばれるのか?
「イチオク」と耳で聞くと、直ちに「一億」と言う数だと考えますが、マエダは「一憶」と言う漢字を選びました。最初の一億円の高価な家と言うイメージと家が崩壊している事実とが、ぶつかり合うのが好きで、一つの記憶からいろいろなところへ想像が広がるのが好きだからです。
「一憶ハウス」に必要な資金は?
初めの資金はニューヨークを拠点とするクリエイティブ・キャピタル財団法人からもらいました。他はアメリカと日本の政府やNPOや民間から資金調達するつもりです。
クリエイティブ・キャピタルとは?
クリエイティブ・キャピタルは芸術家を支援するニュー・ヨークのNPOです。お金に加えて、そのキャリアーの途中にある芸術家が次の段階に達するため、講習会をしたり、人脈作りを手伝ってくれます。
「一憶ハウス」を経験するためには?
「一憶ハウス」は2023年に始まって、二年間掛かるはずです。完成すると、2025年に上演を一週間に数回行います。マエダのプロジェクトに興味のある方はこのリンクhttps://ichiokuhouse.substack.com/をクリックするか、 kimi@kimimaeda.com にメールを送るかして、メールのニュ~スレターに申し込んでください。
マエダ・キミとは?
マエダ・キミは島根県浜田市を拠点とする日系アメリカ人の 舞台芸術家です。「エフェメラ (はかないもの)三部作」は、砂絵と影絵を使って、 記憶、ホーム(うち)、多重文化を持つ自己をテーマにした作品で、2017年度 権威あるニューヨーク ・ドラマ デスク 賞に指名されました。 2023年、 クリエイティブ・キャピタルから助成金を授与され、日米友好基金が2017年に主催した日米芸術家交換プログラムのフェローシップをもらいました。マエダは 2015年、 ジャスパーマガジン 視覚芸術家賞、2005年には 米国劇場技術協会 舞台美術部門のローズ ブランド賞を受け、2007年「ポラロイド・ストーリーズ」のための舞台衣装がチェコ共和国、プラハにおける 四年に一度の大会に選ばれ展示されました。
マエダの祖父、山﨑修二は1934年 島根県立浜田高等女学校の美術教師となり、その後、浜田高校を1967年に退職しました。1948から1997まで東光会支部山光会の会長を務め、島根県で地方の人たちと協力して地方の文化を盛んにしたいと努力しました。これからマエダはこの祖父のような仕事を続けたいのです。